社会的に薬物使用の氾濫が問題視されています。
下記のフォトは かつて私がイギリスに住んでいた2002年
日本人向けの新聞「ジャーニー」特別版に掲載された
薬物がもたらす恐怖を示したものです。
今から8年前のものです。
各種の薬物がいかに入手しやすい形態・価格であるのか、
それらが与える「お手軽さ」の印象、
でも結果的にどんなふうに人生を破滅させていくのかを
写真や細かい説明で訴えていました。
衝撃的な写真は、21歳のイギリス人の女性が
薬物に手を染め、中毒死した姿です。
警察官兄弟をもち、ミドルクラスの家庭で育ち、
誰もが将来の幸福を疑わずにいました。
きっかけは、19歳のときに
ボーイフレンドに進められたとのこと。
服装・行動・性格の変化、体重の激減・皮膚の痒みのために
常に皮膚をかきむしる様子、そして
薬物を購入するために自分の持ち物を換金していたなど、
異変を周囲は感じ取っていたそうです。
当時、この新聞をみた私は
この新聞を持っていること自体に
若干の不快感、抵抗感を持ったのが正直な気持ちでした。
「日本人として」の感覚がそうさせたのでしょう。
日本人にはまだまだ 遠い世界のもののように思えていたのです。
でも、私が生活していたのは日本ではありませんでした。
1996年の滞在中には既に、知人がシェアメイトの○○人が
ベランダで大麻の栽培してたのを見た、などという話が
周囲から聞こえていたのですから。
だから、この新聞を今日までずっと手元に置いてきたのです。
帰国後、私が講義に立つ授業の
「薬物依存・薬物中毒」のトピックの際には、
常に受講者の皆さんにこの紙面を見ていただいています。
そうするようになってもう、5年近く。
皆、はじめは目を背けます。
今こうして世間を騒がすずっと、ずっと以前のことですから、
皆さんには少々衝撃が大きいものだったことと思います。
でも、私たちには、自分や家族や大切な人たちを守るためにも
目を背けてはならない事実があるものです。
薬物依存・中毒は、一生の苦しみになると言われます。
私たちの脳は一度覚えたこの特殊な快感を
しっかりと深く刻み付けてしまうのです。
そして、これは一生消えることはありません。
心身におこる事柄は、
機械のように 「解除」も「リセット」もできないのです。
記憶は逃避や抑圧という形で
一時的に消えたように思えても、
心はそうさせてくれない、
いつかは
自分自身と向き合わざるを得ないのです。
2002年前後の欧州を、
まるで今日本で再び再体験しているように思える今日この頃です。
2009年8月12日水曜日
隣接メッセは大混雑
すごい。大きい。でも綺麗・・?
この恐竜の絵は、
現在幕張メッセで行われている 恐竜博にちなんで
ホテル マンハッタンのロビーに飾られた
大きな大きな恐竜の絵です。(↓)
ちょっと息子を連れて
驚かせてきました。
各種レストランやカフェが入っているために、
混・混。
この恐竜の絵は、
現在幕張メッセで行われている 恐竜博にちなんで
ホテル マンハッタンのロビーに飾られた
大きな大きな恐竜の絵です。(↓)
ちょっと息子を連れて
驚かせてきました。
混雑するのですが、
この夏は 恐竜博、野外コンサート?、そしてマリンスタジアムでの試合観戦の
ために ここのところ毎日混・混。
わが社の入っているワールドビジネスガーデン内も各種レストランやカフェが入っているために、
混・混。
さて、最近の眉間にしわを寄せるような社会問題のなか、
ちょっと笑える朝青龍の記事。↓
笑わせてくれます。ヒール役とおちゃめさと、
案外 私の中で好感度があがってます。
「おぼれかけた朝青龍 7時のニュースには出たくないと生還」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090811-00000035-spn-spo
2009年8月11日火曜日
早いもので一年
早いもので一年。
オランダ時代からの知人から
「丁度去年のことをノスタルジックに思い出している」と
メールをもらいました。
昨年の今頃 子供たちを連れて
フランスの知人の別荘に半月ほど滞在させていただきました。
ノルマンディの・・草原の中の一軒家。
こんな光景、見たことがありませんでした。
主はダッチメキシカンの知人家族の息子のものです。
彼はイギリスとフランスを車で行ったりきたり。
家にはスタジオがあり、ここで仕事をするとのこと。
そりゃ防音効果抜群でしょう、隣がはるか遠くなのですから。
知人の娘は、何処からか電話は入りますが、
いつも違うところ、アメリカ?アフリカ?
もう、私もあえて確認しません。いつも違う場所にいるのですから。
偶然 スパニッシュ家族も遊びに来て、
毎日 グローバルな料理と言語が飛び交い、
現地の材料なので 少々「違う」ものの、
パエリアやメキシカンタコス、お寿司パーティと毎日大忙し。
その間にも、しっかり仕事の話が飛び交います。
常に それぞれが自分たちのすべきことをしていて、
お互いに 助け合えるチャンスを見つけては
意見交換の「順番待ち」でした。
うちの息子はすぐに
「バンブー(本人は ボンジュールのつもり。竹のことではありません)」と
フランス語を披露。
また、会いに行きたい人たち、浸っていたい空気でした。
オランダ時代からの知人から
「丁度去年のことをノスタルジックに思い出している」と
メールをもらいました。
昨年の今頃 子供たちを連れて
フランスの知人の別荘に半月ほど滞在させていただきました。
ノルマンディの・・草原の中の一軒家。
こんな光景、見たことがありませんでした。
主はダッチメキシカンの知人家族の息子のものです。
彼はイギリスとフランスを車で行ったりきたり。
家にはスタジオがあり、ここで仕事をするとのこと。
そりゃ防音効果抜群でしょう、隣がはるか遠くなのですから。
知人の娘は、何処からか電話は入りますが、
いつも違うところ、アメリカ?アフリカ?
もう、私もあえて確認しません。いつも違う場所にいるのですから。
偶然 スパニッシュ家族も遊びに来て、
毎日 グローバルな料理と言語が飛び交い、
現地の材料なので 少々「違う」ものの、
パエリアやメキシカンタコス、お寿司パーティと毎日大忙し。
その間にも、しっかり仕事の話が飛び交います。
常に それぞれが自分たちのすべきことをしていて、
お互いに 助け合えるチャンスを見つけては
意見交換の「順番待ち」でした。
うちの息子はすぐに
「バンブー(本人は ボンジュールのつもり。竹のことではありません)」と
フランス語を披露。
また、会いに行きたい人たち、浸っていたい空気でした。
登録:
投稿 (Atom)