2013年10月1日火曜日

ビジネス心理士 通信講座動画の撮影


先週の事になりますが、
ビジネス心理士の通信講座のための
動画撮影をして参りました。

写真は私の担当ではない部分ですが、
こんなイメージで仕上がります。

動画撮影については、
テキストの中で 私が執筆をしていない部分をも
いくつかまかされて 担当しています。
大学教授の皆さんが執筆されたものを
代理で解説するのですから
まかされた事は名誉な事です。

まだまだ 仕事の合間に複数の撮影が入ります。
受講者が「あぁ、そういう事か」と 思えるような
分かりやすい説明を心がけています。

頑張って参ります。




NHK 「ファミリーヒストリー」:パラオ放映

もう7年くらい経つのでしょうか。
先日、声をかけていただき、
久しぶりにパラオ時代に 仕事をご一緒させていただきた
他社の皆さんにお会いする機会がありました。

7年経つのに、何も時間的な隔たりを感じさせられる事も無く、
まるでちょっと久しぶりだね、のようなノリで
仲間に入れてくださった皆さんには大変感謝しています。

同時に、あの頃どれだけ楽しく仕事をしていたのか、を
深く深く痛感しました。
私はパラオの仕事を離れて 
一つ自分について わかった事があります。

「仕事をする上で、何が私を幸せにするのか」

私にとってそれは、
共に働く仲間や関係者の皆さんでした。

一つの目標に向けて、それぞれの異なる立場で責任をこなしていく、
助け合っていく、意見をぶつけあう、
そんなプロフェッショナルなやり取りが
「仕事へのやりがい」となっていたのです。

さて、パラオに関するテレビ番組の放映は
今も続々とされています。
近々のものとして、下記をご紹介します。

ぜひ、パラオの美しい自然景観と
暖かいパラオの人々をご覧ください。


NHKのドキュメンタリー番組『ファミリーヒストリー』
(毎週金曜 後10:00~10:50)
新シリーズ1回目の放送(10月4日)
お笑いタレントの今田耕司が登場、今田の母は幼い頃、南洋群島・パラオで暮らしていたという・・・






2013年9月24日火曜日

ビジネス心理士学会出版記念パーティが開催されました



9月21火土曜日 夜景も美しく展望できる会場(後楽園)にて ビジネス心理士学会 出版記念パーティーが盛大に開催されました。

いらしたのは国内外からの大学教授の皆様、また複数の出版社の皆様、またテキスト本の執筆に関わられた皆様。
私も参加させていただきました。


それも、司会という大役を仰せつかり、台本は全く無しの進行表のみの ぶっつけ本番。
ですが、これでもパラオ勤務時代に培った経験があります。
数々のセミナーを企画し、主催し、司会もプレゼンもこなして参りました。

ということで、無事終了。



食事はや歓談はゆっくり楽しむ事はできませんでしたが、
多くの方にお会いできる機会でした。

2013年7月9日火曜日

カリスマ性リーダーシップを考えるときに



リーダーの「カリスマ性」を説明するのには、どんな言葉を駆使しても困難なものがあるとずっと感じていた。
カリスマ性とは 特定の人物がもつ特別な能力や資質であって、それらが自ずと人々を引きつけ、信じる事で信服させるというさも神が授けたような超人的な力が働くような印象を受ける。

実はカリスマ性にはその力強いリーダーシップのイメージの裏に、様々なリスクもある。

例えば、
   カリスマ性の育成: カリスマ性は訓練により得られる能力か否か。つまり継承ができない。
   カリスマ性を失うとリーダーシップも失われる
   一時的であり、現状否定である。
つまり、大きな変革を起こす必要があるときにカリスマ性は求められる。しかし、組織は常に大きな変革を起こしていては組織も人もが疲弊してしまう。
   絶対的な支持と服従心を、誤った判断により率いる事がある

などなど。

つまりカリスマ性リーダーシップは、求められる強いリーダーシップの形のひとつでありながら、そこに潜在的なリスクが存在するという事である。


ある本を読んでいて 印象的な説明を見つけた。
つまりは、カリスマ性も、人の関係性に築き上げられる「心」の力なのである。

  「人の上に立つ」ために本当に必要なこと」 
  ジョン・C・マクスウェル    ダイヤモンド社

「この人についていきたいと思わせる力(本当のカリスマ性)」とは、
「自分が知る限りで最も頭のいいリーダーであると感じさせるリーダー」よりも、「その人と同席すると、自分こそが頭のいい人間であると思わせるリーダー」のことである。

  人と接するとき、
  相手に好かれるように振る舞うのではなく、
  相手が自分自身を好きになるように振る舞えばよい。
  (本より引用)

なるほど、と思う。

2013年7月3日水曜日

なぜ 従来のマネジメントでなく、多様性のマネジメントが必要なのか


従来のビジネスでは、組織や集団で一人のリーダーの存在を中心に考え、そのリーダーシップのもとに環境の変化に対して誰もが受動的に対処することで十分でした。組織のコンティンジェンシー理論ではこれを、「組織が状況により変化するべきである」、と説明しています。既に、たった一人のリーダーを宗教的に信じる時代は終わっていますが、しかしこのコンティンジェンシーな対応でも 今や十分ではないのです。

IT化やグローバル化への加速度はますます高まるばかりです。これらが引き起こすのはビジネス環境の予測不可能性です。

予測不可能な環境に対して、状況次第に動くコンティンジェンシーな組織は 市場環境に最適な組織形態を求めるあまりに やがて組織が同型化していきます。
組織とは結局は人の集まりであり、人は変化を本質的に嫌う生き物です。環境の変化に身を任せてしまった組織は次第に内部が不安定になり硬直化していきます。

変化に対して能動的に動く組織は、受動的に動く組織と同様に常に「不安とプレッシャー」と隣り合わせではあっても、変化に身を任せるのではなく、積極的に変化を自ら起こしていくことで組織の中の意識に安定が生まれる点で大きく異なります。むしろ共通の目標が明確化され組織内部は強固になり凝集していきます。

予測不可能な変化に対応するためには、たった一人のリーダーの指揮を待つ組織であっては不可能です。リーダーにとっても計り知れないプレッシャーであり、ストレスとなる上に、指示待ちのフォロワーには不満や軋轢が生まれてしまいます。

個々の労働力の潜在能力を生かす事ができるリーダーシップが求められています。変革を起こすリーダーシップとは、多様な力を効果的に引き出すことができる関係性を築く事から始まるのです。

2013年6月28日金曜日

女性リーダーはリーダーシップに適しているのか、という議論


女性か男性かと区別する自体に問題があるかもしれませんが、
従来の古典的なリーダーシップ像はおそらくほとんどが
男性をイメージしたものといって間違いないでしょう。
ここではリーダーとしてふさわしいと考える「資質」「特性」、
また「行動」などからそのように考えるのだと思われます。

しかし、そのような「資質」や「行動」とはどんなものなのでしょうか。

リーダーシップ理論の研究は長い歴史を持ちますが、
例えば、かつて「行動」を軸にアプローチを唱えたオハイオ研究では 独自のデータ因子分析により
構造作り(intimating structure):フォロワーが目標に向かって効率的な業務を遂行できるように業務の明確化を図り、割り当て、サポートすることによるリーダーシップ」
配慮( consideration):フォロワーの感情や価値観を尊重し、信頼関係をベースにしたリーダーシップ」
この二つの軸を示しています。
日本の研究者三隅氏によるPM理論でも類似した結果を示しています。

しかし、このようなリーダーシップスタイルが 
常に、どんな現場でも妥当であるのかどうか、そこに大きな疑問が残ります。
つまり、リーダーシップスタイルが先にありき、という現状に 
様々な疑問が起こるのです。
まして、予測が困難になった現在のビジネスの現場で
凝り固まったリーダーシップが歓迎されるとは思えません。

心に残るリーダー象を描いてみれば分かるかもしれません。
そのリーダーが 世界でどこにいても、いつの時代も、
どの企業でもどの場面でも同じということはありません。

実際のところ、リーダーシップ理論では、
その資質、行動について共通する認識が得られたことは全くなく、
リーダーシップの資質や行動とは
言葉遊びのように曖昧な認識のものでもありました。
リーダーシップに適切であると考えられる資質・行動とは、
それら異なる組織においても状況においても、
常に多様であると考えるのが適切なのではないでしょうか。

つまり、「女性が組織のリーダーシップに適しているかどうか」とい問題も
意味をなさない問題である、ということです。
女性にも様々な資質・行動・経験をもつ女性がいて、
一方男性もやはり様々なのです。

リーダー以外の重要な存在、
つまりフォロワーと周囲の仲間の存在、
そして職務内容も必ず関わってきます。
リーダーシップはリーダーひとりが成立させる物ではなく、
様々な人間たちの関わりが 
その場・その企業の適切なリーダー関係を作り上げるのです。

リーダーが女性であるべきか、男性であるべきかかという問題よりも
「その組織で求められるリーダ−象とは何か」、
また、「最大利益を生み出すリーダーとフォロワーの関係を
どう築くか」をまず考える必要があるのでしょう。

2013年6月14日金曜日

記事「女性は仕事と過程を両立できない」



クーリエ・ジャポン公式HP 現場からより抜粋

この記事は、米誌「アトランティック」に掲載されて全米で話題になったアン・マリー・スローターの論文が元になっています。スローターは、オバマ政権で国務省政策企画室長を務めたエリート中のエリートです。彼女には育ち盛りの子供が2人いますが、夫は育児にとっても協力的。やりがいのある仕事に高い報酬、上司は理解ある女性(ヒラリー・クリントン)。恵まれた環境で思う存分、キャリアに邁進していたはずのスローター。そんな彼女が政府で2年間、がむしゃらに働いて出した結論が、「仕事と家庭の両立は不可能」というものだったのです。

スローターが「不可能」と言い切る理由は、米国の経済と社会の構造にあるとしています。長時間労働をよしとする「時間マッチョ」の文化や、家庭を大事にする人が低く評価される風潮が、いまだに幅を利かせているといいます。

その一例として、彼女はこんな話をあげていました。

有能で仕事熱心な従業員が2人いるとしよう。一人は走ることを趣味としていて、オフの時間はマラソンのトレーニングを積んでいる。もう一人は、子育てに奮闘している。はたして雇用主は、マラソンランナーをどのように評価するだろうか? 朝に起床し、出社する前に1~2時間走り、長い一日の仕事を終えた後にも出かけている。そんなマラソンランナーについて「自己管理ができ、高い目標に向かってわき目もふらずに努力できる人物」と評価するのではないだろうか。
ここで正直に考えてほしい。はたして雇用主は、育児に奮闘している従業員についても同じように考えるだろうか? おそらく子供のいる従業員もマラソンランナーと同じくらい早朝に起床し、出社する前に子供の朝食と弁当を作り、学校に送り出しているだろう。もちろんマラソンランナーと同じ仕事量もこなしている。1週間に30~50㎞走る人と同じくらい、自分を厳しく律していく必要があるのは言うまでもない。
だが、雇用主は、たいていの場合、そんなふうに考えない。当然、そういったことが昇進につながることもない。


「キャリアも家庭も手に入れて当然!」
「女だからってできないはずはない!」
「両立できないのは本人の努力不足!」
前を進むモーレツ先輩女性たちにそう発破をかけられたら、自分も「頑張る」しかありません。弱音や甘えが許されない、競争社会の厳しい現実に直面しながら働く多くの女性たちに、スローター論文は支持されたのでしょう。


http://courrier.jp/blog/?p=12388


さて、皆さんはどう考えるでしょうか。

女性の社会進出が当たり前のアメリカでも、とも書かれていますが、
アメリカのキャリアウーマンが果たして育児両立を
本人の評価で「満足」としているかどうかは疑問です。

というのも、アメリカで望まれるキャリアウーマンに居続けるには
日々の多忙な業務と、残業、休日出勤を拒否できず、
常に上司から、また同僚からの「評価」を気にしながら働き続ける事になります。
(360度評価などでは 上司や同僚の評価が鍵となりますし、
主観的な評価が入るなら 遅刻・子供の急な発病による急な早退・
休日出勤や残業の拒否などされたら 何と書かれてしまうのか)

アメリカでは評価がすべてなのですから。

子育ては 当然ナニー(子守り)に依頼しなければなりません。
それが良しとされるアメリカの伝統では
それで良しと母親も思うのかもしれませんが、
きっとそうではない母親もいるでしょう。

日本では個々数年間で 
家庭の「経済格差」によるその子供の「学力格差」が問題視されてきています。
私も 娘の中学受験を経て、
子供によい教育を受けさせたいと思う場合、
どれだけの費用とがかかるのかをよく知る事となりました。

ここからは 今はまだ私の個人的見解ですが
経済格差に加えて 「親が子供にかける時間」格差も同時に必ず問題になります。
子供と一緒に勉強を見たり、話を聞く時間「親子の伴走時間」が
「学力」をつけるために、
いえ、「学力」という問題以上に、
将来を変化中を生き抜く 強い人間となるために
親の伴走が必須となるからです。
少なくても 早くから自立させない
日本の子育てでは重要です。

勉強ばかり強いたり、
人任せばかりにできない時代にきたという事です。

でも、これらは 経済格差による学力格差とは
矛盾した要求になりますよね(困)

例えば、中学受験には多額の費用がかかります。
でも、毎日子供の学力の伸びだけでなく、
子供がどこにつまづき、
どこで伸び悩み、
どんな助けを必要としているのか。

「塾の先生に聞きなさい」、
で よいのかどうか・・

子供によい学力をつけるために
親は一生懸命働くのに、

本当の学力と強い人格を得るためには
子供とともに学習を経て話あい、考える時間が
多く必要とされるのですから。


ここで職場での問題は
育児と仕事がどちらが大事か、と問う姿勢です。
育児が 個人的なものである、と切り離そうという考え方です。

共に働く女性労働者が
自分たちが 望む働き方を選択できる事、
仕事も大事だけれど、家庭の仕事も大事な時期がある、ということを
女性の立場を理解してあげること、
最大の能力を発揮して 企業の利益に貢献できる状態を
作るためには 個々の育児を個人的なものと切り捨てず、
彼女たちが その(育児の)数年間を安心して働ける環境を作ってほしいと思います。