2013年6月28日金曜日

女性リーダーはリーダーシップに適しているのか、という議論


女性か男性かと区別する自体に問題があるかもしれませんが、
従来の古典的なリーダーシップ像はおそらくほとんどが
男性をイメージしたものといって間違いないでしょう。
ここではリーダーとしてふさわしいと考える「資質」「特性」、
また「行動」などからそのように考えるのだと思われます。

しかし、そのような「資質」や「行動」とはどんなものなのでしょうか。

リーダーシップ理論の研究は長い歴史を持ちますが、
例えば、かつて「行動」を軸にアプローチを唱えたオハイオ研究では 独自のデータ因子分析により
構造作り(intimating structure):フォロワーが目標に向かって効率的な業務を遂行できるように業務の明確化を図り、割り当て、サポートすることによるリーダーシップ」
配慮( consideration):フォロワーの感情や価値観を尊重し、信頼関係をベースにしたリーダーシップ」
この二つの軸を示しています。
日本の研究者三隅氏によるPM理論でも類似した結果を示しています。

しかし、このようなリーダーシップスタイルが 
常に、どんな現場でも妥当であるのかどうか、そこに大きな疑問が残ります。
つまり、リーダーシップスタイルが先にありき、という現状に 
様々な疑問が起こるのです。
まして、予測が困難になった現在のビジネスの現場で
凝り固まったリーダーシップが歓迎されるとは思えません。

心に残るリーダー象を描いてみれば分かるかもしれません。
そのリーダーが 世界でどこにいても、いつの時代も、
どの企業でもどの場面でも同じということはありません。

実際のところ、リーダーシップ理論では、
その資質、行動について共通する認識が得られたことは全くなく、
リーダーシップの資質や行動とは
言葉遊びのように曖昧な認識のものでもありました。
リーダーシップに適切であると考えられる資質・行動とは、
それら異なる組織においても状況においても、
常に多様であると考えるのが適切なのではないでしょうか。

つまり、「女性が組織のリーダーシップに適しているかどうか」とい問題も
意味をなさない問題である、ということです。
女性にも様々な資質・行動・経験をもつ女性がいて、
一方男性もやはり様々なのです。

リーダー以外の重要な存在、
つまりフォロワーと周囲の仲間の存在、
そして職務内容も必ず関わってきます。
リーダーシップはリーダーひとりが成立させる物ではなく、
様々な人間たちの関わりが 
その場・その企業の適切なリーダー関係を作り上げるのです。

リーダーが女性であるべきか、男性であるべきかかという問題よりも
「その組織で求められるリーダ−象とは何か」、
また、「最大利益を生み出すリーダーとフォロワーの関係を
どう築くか」をまず考える必要があるのでしょう。

2013年6月14日金曜日

記事「女性は仕事と過程を両立できない」



クーリエ・ジャポン公式HP 現場からより抜粋

この記事は、米誌「アトランティック」に掲載されて全米で話題になったアン・マリー・スローターの論文が元になっています。スローターは、オバマ政権で国務省政策企画室長を務めたエリート中のエリートです。彼女には育ち盛りの子供が2人いますが、夫は育児にとっても協力的。やりがいのある仕事に高い報酬、上司は理解ある女性(ヒラリー・クリントン)。恵まれた環境で思う存分、キャリアに邁進していたはずのスローター。そんな彼女が政府で2年間、がむしゃらに働いて出した結論が、「仕事と家庭の両立は不可能」というものだったのです。

スローターが「不可能」と言い切る理由は、米国の経済と社会の構造にあるとしています。長時間労働をよしとする「時間マッチョ」の文化や、家庭を大事にする人が低く評価される風潮が、いまだに幅を利かせているといいます。

その一例として、彼女はこんな話をあげていました。

有能で仕事熱心な従業員が2人いるとしよう。一人は走ることを趣味としていて、オフの時間はマラソンのトレーニングを積んでいる。もう一人は、子育てに奮闘している。はたして雇用主は、マラソンランナーをどのように評価するだろうか? 朝に起床し、出社する前に1~2時間走り、長い一日の仕事を終えた後にも出かけている。そんなマラソンランナーについて「自己管理ができ、高い目標に向かってわき目もふらずに努力できる人物」と評価するのではないだろうか。
ここで正直に考えてほしい。はたして雇用主は、育児に奮闘している従業員についても同じように考えるだろうか? おそらく子供のいる従業員もマラソンランナーと同じくらい早朝に起床し、出社する前に子供の朝食と弁当を作り、学校に送り出しているだろう。もちろんマラソンランナーと同じ仕事量もこなしている。1週間に30~50㎞走る人と同じくらい、自分を厳しく律していく必要があるのは言うまでもない。
だが、雇用主は、たいていの場合、そんなふうに考えない。当然、そういったことが昇進につながることもない。


「キャリアも家庭も手に入れて当然!」
「女だからってできないはずはない!」
「両立できないのは本人の努力不足!」
前を進むモーレツ先輩女性たちにそう発破をかけられたら、自分も「頑張る」しかありません。弱音や甘えが許されない、競争社会の厳しい現実に直面しながら働く多くの女性たちに、スローター論文は支持されたのでしょう。


http://courrier.jp/blog/?p=12388


さて、皆さんはどう考えるでしょうか。

女性の社会進出が当たり前のアメリカでも、とも書かれていますが、
アメリカのキャリアウーマンが果たして育児両立を
本人の評価で「満足」としているかどうかは疑問です。

というのも、アメリカで望まれるキャリアウーマンに居続けるには
日々の多忙な業務と、残業、休日出勤を拒否できず、
常に上司から、また同僚からの「評価」を気にしながら働き続ける事になります。
(360度評価などでは 上司や同僚の評価が鍵となりますし、
主観的な評価が入るなら 遅刻・子供の急な発病による急な早退・
休日出勤や残業の拒否などされたら 何と書かれてしまうのか)

アメリカでは評価がすべてなのですから。

子育ては 当然ナニー(子守り)に依頼しなければなりません。
それが良しとされるアメリカの伝統では
それで良しと母親も思うのかもしれませんが、
きっとそうではない母親もいるでしょう。

日本では個々数年間で 
家庭の「経済格差」によるその子供の「学力格差」が問題視されてきています。
私も 娘の中学受験を経て、
子供によい教育を受けさせたいと思う場合、
どれだけの費用とがかかるのかをよく知る事となりました。

ここからは 今はまだ私の個人的見解ですが
経済格差に加えて 「親が子供にかける時間」格差も同時に必ず問題になります。
子供と一緒に勉強を見たり、話を聞く時間「親子の伴走時間」が
「学力」をつけるために、
いえ、「学力」という問題以上に、
将来を変化中を生き抜く 強い人間となるために
親の伴走が必須となるからです。
少なくても 早くから自立させない
日本の子育てでは重要です。

勉強ばかり強いたり、
人任せばかりにできない時代にきたという事です。

でも、これらは 経済格差による学力格差とは
矛盾した要求になりますよね(困)

例えば、中学受験には多額の費用がかかります。
でも、毎日子供の学力の伸びだけでなく、
子供がどこにつまづき、
どこで伸び悩み、
どんな助けを必要としているのか。

「塾の先生に聞きなさい」、
で よいのかどうか・・

子供によい学力をつけるために
親は一生懸命働くのに、

本当の学力と強い人格を得るためには
子供とともに学習を経て話あい、考える時間が
多く必要とされるのですから。


ここで職場での問題は
育児と仕事がどちらが大事か、と問う姿勢です。
育児が 個人的なものである、と切り離そうという考え方です。

共に働く女性労働者が
自分たちが 望む働き方を選択できる事、
仕事も大事だけれど、家庭の仕事も大事な時期がある、ということを
女性の立場を理解してあげること、
最大の能力を発揮して 企業の利益に貢献できる状態を
作るためには 個々の育児を個人的なものと切り捨てず、
彼女たちが その(育児の)数年間を安心して働ける環境を作ってほしいと思います。







クーリエ「結局、専業主婦が一番幸せ」


クーリエジャポン 現場からより抜粋


「『結局、女は専業主婦がいちばん幸せ』を考える」という「ニューヨーク・マガジン」の記事を掲載。女性にとって、「いかに仕事と家庭を両立するか」というのは、なかなか答えの見つからない問題です。「いつ産めばいいの?」「出産を先延ばしにしていたらチャンスを逃しちゃうかも」「仕事を辞めたら、二度とやりがいのある仕事ができなくなるのでは?」「自分の仕事は、子育てしながらでも続ける価値があるのか?」……
3月、「女エリート」の代表格が、再び議論に火をつけました。フェイスブックCOOのシェリル・サンドバーグが著書『リーン・イン』を発表したのです。その内容は、「政治や経済の世界で、トップを務める女性が少なすぎる。必要なのは女性たちの意識改革よ!」というものでした。これに鼓舞された女性も多くいたようですが、一方でこんな意見も聞かれました。

「私たちは、別にそこまでして戦いたくないんだけど……」

そんな声を拾ったのが、今号の記事です。メインで登場するのは、ケリー・マキノという33歳の女性。修士号を持ち、やりがいのある仕事に就いていた彼女は、あるときから専業主婦になることを決意します。きっかけは、夫が出張の多い職場に異動になったこと。5歳の息子が学校でけんかをするようになり、4歳の娘が悪夢にうなされていたことも原因でした。夫は協力的だったけれど、子供の送り迎えや夕食の用意などのスケジュール調整に追われて、夫婦はイライラが募っていたといいます。

http://courrier.jp/blog/?p=14707


あぁ、同じように悩む女性が存在すると知る事が
こんなに嬉しい事なんて(涙)

私は仕事が大好きで 家族も大好きで
外国生活の長い、柔軟な考えの理解ある夫に助けられてきました。
でも、
自分の時間の多くを仕事に裂く事で
子供の将来を左右する事を自ら悟ったとき、
自分の満足感だけを優先する事ができなくなりました。

一方で、仕事を急に縮小する事は
社会的には 逆の方向に理解されます。
そして仕事への責任感が問われます。


上記 記事の女性は
仕事の為に 家族を犠牲にしている事に
罪悪感を持ち続けました。

ですが、問題なのは
女性が 仕事と家庭のどちらかを
選ばなければならないことですよね。

どちらも「選べる」訳がないんです。
どちらも大切、それが理解されない世界が
多く存在しています

女性が自分の幸せを選択する、そんな事が
できない世の中である事が残念です。

でももっと残念なのは、
その苦悩に気がついてくれる人が少ない事でしょう。

幸い 私は夫に理解される事で救われています。
私が働きやすい環境を共に模索してくれることが
一人ではないと 感じさせてくれます。



こともあろうに、この記事を紹介していたあるテレビでの男性のコメントが
「私は ほとんど家を不在にする仕事でしたが
幸い妻が専業主婦で 助かりました」と言っていましたが
この記事の意味を本当に理解していないと示唆しています。

多様性マネージメントや
女性の社会進出の難さは
このような 理解されない文化が最も大きな問題です。


仕事への時間や量を、選択しながら働く事ができる
社会である事を願う毎日です。