2013年7月9日火曜日

カリスマ性リーダーシップを考えるときに



リーダーの「カリスマ性」を説明するのには、どんな言葉を駆使しても困難なものがあるとずっと感じていた。
カリスマ性とは 特定の人物がもつ特別な能力や資質であって、それらが自ずと人々を引きつけ、信じる事で信服させるというさも神が授けたような超人的な力が働くような印象を受ける。

実はカリスマ性にはその力強いリーダーシップのイメージの裏に、様々なリスクもある。

例えば、
   カリスマ性の育成: カリスマ性は訓練により得られる能力か否か。つまり継承ができない。
   カリスマ性を失うとリーダーシップも失われる
   一時的であり、現状否定である。
つまり、大きな変革を起こす必要があるときにカリスマ性は求められる。しかし、組織は常に大きな変革を起こしていては組織も人もが疲弊してしまう。
   絶対的な支持と服従心を、誤った判断により率いる事がある

などなど。

つまりカリスマ性リーダーシップは、求められる強いリーダーシップの形のひとつでありながら、そこに潜在的なリスクが存在するという事である。


ある本を読んでいて 印象的な説明を見つけた。
つまりは、カリスマ性も、人の関係性に築き上げられる「心」の力なのである。

  「人の上に立つ」ために本当に必要なこと」 
  ジョン・C・マクスウェル    ダイヤモンド社

「この人についていきたいと思わせる力(本当のカリスマ性)」とは、
「自分が知る限りで最も頭のいいリーダーであると感じさせるリーダー」よりも、「その人と同席すると、自分こそが頭のいい人間であると思わせるリーダー」のことである。

  人と接するとき、
  相手に好かれるように振る舞うのではなく、
  相手が自分自身を好きになるように振る舞えばよい。
  (本より引用)

なるほど、と思う。

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