2010年3月10日水曜日

An imaginary friend

昨日は夕方から 大粒の雪が舞い始めました。
息子を迎えに行った帰り、車中で彼がこんなことを言っていました。

「お外には怒りんぼ虫がいるんだよ。 大きくて、長いの」と。

ふーん、と聞く私。
たしか、昨日はこんなことを言っていました。

やだっていうとやだやだお化がでるんだよ。
ばかっていうとばかばかお化がでるんだよ、でね、
もう知らないっていうと知らないお化が出るんだよ」


先生にそう諭されたの?それとも・・
あ、もしかしてimaginary friend??? 出現した?
つい微笑んでしまう私。

最近は言葉が発達してきて
あれもダメ、これもダメ、と私にいわれると 空中に向かって
「じゃぁ 一体どうしたらいいの?」と言うこともあるし?


■Imaginary friend (imaginary companion)とは

 Imaginary friend (imaginary companion)とは
想像上の友達のことです。
欧米の発達心理学では研究が進んでいるようですが、


それでもかつては
わが子が見えない誰かと話す姿を

発達上の問題かと心配された時期もあったようです。

実際、若いお母さんたちには 

子供がわからないことを言い出したり
存在しない友人の話をしたりすることを
懸念する方もいるようです。

Imaginary friend (imaginary companion)、それは
たとえばそれはぬいぐるみや人形であり、TVのキャラクターであり、
そして空想上(架空)の友人でもあります。


やがて年齢を重ねるうちに、
周囲が顔をしかめる様子を認識し
周囲とのやり取りがより複雑化していくことで

自然と減少していくといわれます。
(実際に減少したり、表面的に減少したり、
それは個人差があることでしょう)

Imaginary friendは2歳から5歳くらいにかけて 

言葉の習得が始まった幼児に起こる
発達上の現象と考えられます。

いろいろな説(ピアジェやヴィゴッキー説)があるようですが、
子供が母親と分化(異質なものとして別れることを認識)していくころ、
幼児の内には内的会話が発生してきます。


やがて、言葉を他者(おもに母)との
やり取りのツール(外言)として使い始め
そしてその対象は母親以外の誰かへと移行していきます。


同時に言葉は思考のための道具(内言)となります。
でも未熟な言語発達期には
発達とともにどんどんと複雑化する思考を 
適切に表現する力はありません。
そのために、頭の中のことを言葉にする試みが
独り言となる、とも考えられます。

先のとおり、社会化とともに 会話の対象は拡大します。
その自然な移行の流れの中で、

子供は自分の自我
(ここではself:意識の対象としての自我の意味)を

確立していきます。
それは周囲との相互作用、自らの体験、

そして自分とのやり取りの中で
形成されていくのです。


内言・外言を通じて、

人とのやり取りや
自己の思考を整理していく過程、ということでしょう。
こんな小さな頭の中で いろいろと考えているんですね、

子供が誰か空を見て話をしている姿をキャッチしても、
あまり心配せずに温かく見守ってあげましょう。










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