2011年3月25日金曜日

復興へ向けて。

2週間立ち、皆 復興に向け前向きに進み始めました。

まだ気が張ることが多く、
今までとは違う状況の小さな積み重ねが
疲労感をもたらすこともありますが、
それでも 日常にもどろうとする努力が
あちこちに みられています。

都心にもっとも近い被災地として
新浦安がTVで流され、それに続いて
この海浜幕張も映されます。
被災地に比べたら、ここはまだ小さな被害で済んでいます。
大丈夫です。

でも新浦安のあたりは、ライフラインもままならず、
断水も行われ、家が傾く現状も。
それでもみな、口をそろえて
「私たちはまだいい、こんなことで
嘆いては「申し訳ない、」と。

地震発生の翌々日は下記のような様子が見られました。
子供たちが普段遊んでいる公園には
地面に大きな亀裂が・・、
液状化現象があちらこちらに見られています。

地下から噴き出る泥水が
停められていたバイクを半分沈ませています。



歩行道路は ガタガタに浮きあがり、木々は斜めに倒れそうです。
それでも、この街は電線が無いのでまだ安心して歩くことができます。
二つ先の駅では 車道の脇の電線が数メートルおきに
車道側に斜めに傾き 運転も怖い感じです。







一週間くらいは、街も人の姿が少なく、
液状化の泥が乾き、
街中が 砂埃で空気も濁っていました。

最近の状況です。
福島原発の被災の影響で
野菜は海外からの生産物が増えました。
物が少なく、今までのように夕方買い物に行ったら
もう欲しいものは手に入らない状態です。
無ければあるもので済ませよう、
でも子供や夫のことを考えると、
今朝は朝一番に週末のための買い物に
行ってきました。
開店前に 店の前に行列ができていました。

目的は たぶん「水」でしょう。
最近、千葉、東京に
飲料水への注意が促されました。
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列に並ばない私が入店した際には
開店10分後位にも関わらず
水は全く無し。
ちなみに昨日 夕刻にいったスーパーでは
海外もののトイレットペーパーが
2100円で売っていました。驚きです。










地震が起きた日、息子が体調を崩し、医者から戻ったところでした。
娘は期末テストの初日。
夫は東京から帰る術がなくオフィスに泊まり、
その中で、インフルB型の症状が出始めた息子は
夜中何度も腹痛を訴え、起き、夜間救急に連れて行こうか
考え悩んだりもしました。
その後
福島原発の状況が悪化する状況を見て
夫の判断は早かった。
子供たちを 私の実家へ移そう、と。
症状が何とか落ち着いた息子と娘を連れて
深夜 車を実家に向けたものの、
途中 ガスステーションでは5リットル制限でしか
給油できず。
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今は皆 家族そろって家で過ごしていますが、
小さな息子がときどき
「あ、揺れてる・・」とつぶやくことがあります。
実際は、揺れていないのに。
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余震がまだ ときどきですが続いているので、
子供たちも不安を感じているのかもしれません。
ひとつひとつ、少しづつ
子供たちのために 元の生活に戻れるように
してあげたいものです。


















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