Photo: Time up!
The Eur Week
欧州から 一気に 知人が やってきました
欧州から 一気に 知人が やってきました
先週・今週は欧州からの来客が多い週でした。
フランスからの友人、そして写真の二人、オランダから(左)ECGオーナーと
南アフリカ・オランダを中心に仕事をする英国人(右)です。
ECGはオランダ系の会社です。そして横の英国人はその彼と、
共にビジネスをする心理学ベースのビジネスコンサル、ワールドワイドスケールの
実業家。一緒に何が出来るか、何をGive and Takeできるか、という話をしています。
この写真、気がつく人がいるでしょうか・・。
オランダからの彼はこの寒さ最盛の時期というのに、半袖。
この人、朝から汗いっぱいで、一度ホテルに着替えに戻ったんです。そして
周囲は防寒体制のなか、私たち仕事仲間の到着を涼しげに悠々とCaféで待っていました。
実業家。一緒に何が出来るか、何をGive and Takeできるか、という話をしています。
この写真、気がつく人がいるでしょうか・・。
オランダからの彼はこの寒さ最盛の時期というのに、半袖。
この人、朝から汗いっぱいで、一度ホテルに着替えに戻ったんです。そして
周囲は防寒体制のなか、私たち仕事仲間の到着を涼しげに悠々とCaféで待っていました。
「なんで半袖なの?何考えてるの?
(Are you crazy? It’s winter time, here!!)」と
つい叫んでしまいそう、そして笑ってしまうのですが、本当にそれでもまだ汗をかいているのです。
つい叫んでしまいそう、そして笑ってしまうのですが、本当にそれでもまだ汗をかいているのです。
大体この寒さに、欧州では馴染みのOpen Cafeスタイルで外で食事するのは
私たちくらいです。コートに深く包まりながら、陽の光が少しでもあたる場所を探すのは私だけ?
(いえいえ、写真の背景にはダウンの人が見えますし)
しかも、真冬の日本に来るのになぜ半袖なんて荷物に入れたの???
… How come?!!!!
考えてみればオランダは北海道よりさらに北に位置する国です。
冬は運河に厚い氷が張って人々はスケートを楽しむほどです。
私のオランダ時代の冬は、毎朝、出かける前に凍ってしまった車の
フロントガラスの氷を掻くことから始まったものでした。
オランダ人宅に伺うときは、室内用に何か羽織るものを持参し、
忘れたときはコートを着たままということもあります。
オランダでは、外も寒いのですが室内も低めの温度に設定されているのです。
(我が家は 室内温度は常に最高に設定され、冬でも室内は半袖で過ごしていましたが。)
かつて海の下にあった国(Under land)は、
環境に徹底して優しいのです。
ダムを作り、そこに街が出来たのが
ダムを作り、そこに街が出来たのが
「アムステルダム」や「ロッテルダム」など。
そして、国土の40%近くが海面下という
そして、国土の40%近くが海面下という
街を流れる運河から水を風車でくみ出してきた歴史を持ちます。
オランダにいると本当に海面が人の視線の高さより上にあるのですから
オランダにいると本当に海面が人の視線の高さより上にあるのですから
驚きます。
つまり、環境破壊は洪水やそれ以上の水害の心配をもたらすのです。
つまり、環境破壊は洪水やそれ以上の水害の心配をもたらすのです。
オランダの友人:「なんで日本人はこんな暑くしてるのか、ボーっとしないのか?」と。
私: ・・・No! (笑)。
しかし、日本とのギャップは温度の話だけにとどまりません。
このような欧州からの来客は、たいていが私のオランダ・イギリス滞在時代からの既に10年来の知人です。
そんなオランダからの知人にとって何度も来ている日本ですが、
彼にとって日本という国はどういう国に映っているのか…。
観光なら、良いとこばかりを見るので「素晴らしい国」と絶賛ばかりということもあるでしょう。
しかし、仕事や滞在となるとそう簡単な話ではありません。
私も、かつて最初にイギリスに渡ったとき、そしてオランダに移ったとき、
さらには驚くかもしれませんが日本に数年ぶりに居住目的で帰国したときのショックはかなり大きなものでした。
大人の私がそうだったのですから、子どもはもっと大変だったのではないでしょうか。
小さかった娘はオランダで生まれ,オランダキッズの中で育ち、3歳で言葉も文化も異なるイギリスへ、
そこで慣れた頃また日本へと転々としたのですから様々な文化的なショックは大きかったのではと想像します。
私たち日本人と10年以上の付き合いのあるこのオランダ人も
「仕事」という目的で来るたびにカルチャーショックと遭遇し悩む姿を少々見ることがあります。
もちろん今回も例外ではありません。
グローバル化の時代とはいえ、今でも日本人と欧米人の職業スタイルの差異は
深い深いところで根付いています。真のコミュニケーションは
「言葉」という表面のレベルでは出来ないのです。
それは、私も「外から日本という国を眺める」ことで知ったことでした。
長く欧州に住むうちに思考も欧米化してしまった状態で見る日本は、
中にいたときには気づかなかった良いところも、そうでないところも鮮明に見えてきます。
同時に、日本を改めて知る、そして自分が日本人だという気持ちを再認識させるものでもありました。
様々な染み付いてしまった様々なキャップを乗り越えながら感覚と取り戻した最初の数年。
そして日本での仕事を通じて、伝統的な日系の会社と、
外資系の会社の組織形態や職務スタイルの違いを多く学ぶことが出来ました。
そんな視点から、今回もオランダからの友人が出会う困難を欧米思考から、
また日本の思考から一緒に考えた時間が多々ありました。
どちらが正しく、どちらが否定されるものでもない、文化はその国、国民性そのものであり
比較できるものではありません。
主張することと受け入れること、そして自分を変容させるという柔軟性は
ホフステッド(G.Hofstede:オランダ人、異文化・組織行動・国際経営論者、
著書「Culture and Organiszations」)からの言葉を引用すると、
『多文化世界』で生きる者には必要なコンピタンスだといえるのでしょう、きっと。
私: ・・・No! (笑)。
しかし、日本とのギャップは温度の話だけにとどまりません。
このような欧州からの来客は、たいていが私のオランダ・イギリス滞在時代からの既に10年来の知人です。
そんなオランダからの知人にとって何度も来ている日本ですが、
彼にとって日本という国はどういう国に映っているのか…。
観光なら、良いとこばかりを見るので「素晴らしい国」と絶賛ばかりということもあるでしょう。
しかし、仕事や滞在となるとそう簡単な話ではありません。
私も、かつて最初にイギリスに渡ったとき、そしてオランダに移ったとき、
さらには驚くかもしれませんが日本に数年ぶりに居住目的で帰国したときのショックはかなり大きなものでした。
大人の私がそうだったのですから、子どもはもっと大変だったのではないでしょうか。
小さかった娘はオランダで生まれ,オランダキッズの中で育ち、3歳で言葉も文化も異なるイギリスへ、
そこで慣れた頃また日本へと転々としたのですから様々な文化的なショックは大きかったのではと想像します。
私たち日本人と10年以上の付き合いのあるこのオランダ人も
「仕事」という目的で来るたびにカルチャーショックと遭遇し悩む姿を少々見ることがあります。
もちろん今回も例外ではありません。
グローバル化の時代とはいえ、今でも日本人と欧米人の職業スタイルの差異は
深い深いところで根付いています。真のコミュニケーションは
「言葉」という表面のレベルでは出来ないのです。
それは、私も「外から日本という国を眺める」ことで知ったことでした。
長く欧州に住むうちに思考も欧米化してしまった状態で見る日本は、
中にいたときには気づかなかった良いところも、そうでないところも鮮明に見えてきます。
同時に、日本を改めて知る、そして自分が日本人だという気持ちを再認識させるものでもありました。
様々な染み付いてしまった様々なキャップを乗り越えながら感覚と取り戻した最初の数年。
そして日本での仕事を通じて、伝統的な日系の会社と、
外資系の会社の組織形態や職務スタイルの違いを多く学ぶことが出来ました。
そんな視点から、今回もオランダからの友人が出会う困難を欧米思考から、
また日本の思考から一緒に考えた時間が多々ありました。
どちらが正しく、どちらが否定されるものでもない、文化はその国、国民性そのものであり
比較できるものではありません。
主張することと受け入れること、そして自分を変容させるという柔軟性は
ホフステッド(G.Hofstede:オランダ人、異文化・組織行動・国際経営論者、
著書「Culture and Organiszations」)からの言葉を引用すると、
『多文化世界』で生きる者には必要なコンピタンスだといえるのでしょう、きっと。
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